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シェイクスピア&英国演劇 情報紹介サイト Shakespeare and British Theatre Information Site


ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare

-概要
-略年表(公式文書に残っている記録をもとに)
-関連人物
-シェイクスピア 同時代の評

概要 _____________________________________________

ウィリアム・シェイクスピア(1564年4月−1616年4月)

"The Bard of Avon*"(エイボンの詩人) *エイボン河のこと
"The Immortal Bard" (不滅なる詩人)
"The Bard"(「他でもないあの詩人」といった意・故郷イングランドで)

イングランドの劇作家・詩人・役者。「世界で最も有名な」もしくは、「英語圏で最も偉大な」劇作家と呼ばれる。
イングランド は ウォリクシャー Warwickshire、 ストラットフォド・アポン・エイボンStratford-Uopn-Avon で、
比較的裕福な家庭環境に生まれ育つ。18歳で8歳年上の女性と結婚、約2年の間に双子を含む3人の子供を儲けている。

その後、7年間の空白の時を経て、1592年頃に歴史に再登場し、1611年頃まで、ロンドンで詩人・劇作家・役者として
活躍した。「チェンバレン卿の家臣団 Lord Chamberlain's Men」と呼ばれる劇団(後の「王の家臣団 King's Men」)
に所属。同劇団の専属劇作家であり、役者であり、株主でもあった。1611年以降(おそらく1612年頃)に引退。
引退後は故郷ストラットフォドに戻り、52歳で死去。


略年表(公式文書に残っている記録をもとに)___________________________

1564年4月23日 一般に「誕生日」として祝われる日、聖ジョージ記念日*。*聖ジョージ=イングランドの守護聖人
    4月26日 ウィリアム・シェイクスピア(ジョン・シェイクスピアの息子)が
        ストラットフォド・アポン・エイボンの教会Holy Trinityで洗礼を受ける。

1571年頃〜1579年頃 地元の学校(Grammar school)に通い、ラテン語など、地方の裕福な家の男子が受ける、
          当時の標準的教育を受けたと推測されている。また、後に父親が商売上のトラブルに陥り、
          一家は経済的にも難しい時期を過ごしたとも推測される。大学に進んだ形跡はない。

1582年11月28日 ウィリアム・シェイクスピアとアン・ハサウェイの結婚。
1583年5月26日 スザンナ(ウィリアム・シェイクスピアの娘)が洗礼を受ける。
1585年2月2日 ハムネット&ジュディス(ウィリアム・シェイクスピアの息子と娘)が洗礼を受ける。

1585年〜1592年 "The Lost Years 失われた時"
        ※ この間の、シェイクスピアに関する記録は皆無。世に溢れる「伝記」は、すべて
         後の研究者・愛好家の推測に過ぎず、今後も明確になることはない、というのが通説。

1595年3月15日 女王の財務室より宮廷での芝居上演に対し、次の三人に支払いがなされる:
       ウィリアム・ケンプ、ウィリアム・シェイクスピア、リチャード・バーベッジ(チェンバレン卿の家臣)

1597年5月4日 シェイクスピアがストラットフォドに「New Place」と呼ばれる物件を60ポンドで購入。
1598年 ベン・ジョンソンの芝居「Every Man in His Humour」の出演者リストに、ウィリアム・シェイクスピア
    の名が、喜劇役者の一人として記載される。

1599年5月16日 法務室の審議で、シェイクスピアとその一座に、グローブ座の占有許可がおりる。

1603年 ベン・ジョンソンの芝居「Sejanus His Fall」の出演者リストに、ウィリアム・シェイクスピアの名が
    悲劇役者の一人として記載される。

1603年 5月 シェイクスピアとその一座に、あらゆる芝居を自由に上演することが許可され、また、王の家臣団
    King's Menを名乗ることを承認する王の許可証が発行される。

1604年3月15日 王の行列にて、scarlet cloth(高級な羊毛生地の服・深紅の色であることが多い)を着ることを
    許された役者たちのリストに、シェイクスピアの名が記載される。

1605年5月4日 オーガスティン・フィリップス(Augustine Phillips)の遺書に、シェイクスピアに30シリングの
    金(きん)を遺すことが記される。

1613年1月28日 ジョン・クーム(John Combe)の遺書に、シェイクスピアに5ポンドを遺すことが記される。

1616年3月25日 ウィリアム・シェイクスピアの遺書が書かれる。
1616年4月25日 ウィリアム・シェイクスピア、聖トリニティ教会 Holy Trinity Church に埋葬される。


※その他、土地建物の購入記録、法廷記録、税の未払い記録、支払記録、喧嘩で訴えられた記録などの中に、シェイクスピアの名が残っている。


関連人物____________________________________________

<家族>
ジョン・シェイクスピア John Shakespeare:
 父。手袋職人、革製品・羊毛・穀物等の仲買人、金融業も行っていた地元ストラットフォドの名士。一時は村長に
 まで上り詰めるが、リスクの高い違法羊毛取引などにも手を出していたらしく、後に経済的トラブルに陥ったらしい
 ことが記録に残されている。
メアリー・アーデン Mary Arden:
 母。アーデン家の出身。アーデン家はウォリック地方に古くから栄える豪農一族。
兄弟姉妹: 4人の姉妹(うち3人は幼年期に死去)、3人の弟。

アン・ハサウェイ Anne Hathaway:
 妻。裕福な農家の娘。シェイクスピアよりも8歳年上。
スザンナ・ホール Susanna Hall:
 シェイクスピアの長女、後に医師ジョン・ホールと結婚し、一女を儲ける。
ハムネット・シェイクスピア Hamnet Shakespeare:
 シェイクスピアの長男・ジュディスと双子、少年時に死去。「Hamlet」の名との関連性を指摘する学者も。
ジュディス・クワイニー Judith Quiney:
 シェイクスピアの次女・ハムネットと双子、ワイン職人と結婚し3男を儲ける。
エリザベス・ナッシュ/ 再婚後 レディ・バーナード Elizabeth Nash/Lady Barnard:
 スザンナの娘。ジュディスの息子たちは全員若くして死んだため、彼女の死でシェイクスピア直系の血は絶えた。

<劇団の仲間たち・主要人物のみ>
チェンバレン卿の家臣団 Lord Chamberlain's Men*, later King's Men
 シェイクスピアが所属していた劇団(ただし、パトロンが変わるのに伴い劇団名も変わり、ジェームス一世の治世
 には「王の家臣団」となった)。1594年にチェンバレン卿、ヘンリー・ケアリーの元に、当時名を馳せていた役者が
 集い結成。シェイクスピアを専属劇作家としていた。劇団と核となる経営者的なメンバーは、シェイクスピアを
 入れて8人と考えられている。 *Lord Chamberlain:宮内庁長官のような役職

リチャード・バーベッジ Richard Burbage:
 初期株主の一人。劇団の主役級の役者。ハムレット、オセロ、リア王など、シェイクスピア作品の英雄たちは
 バーベッジが演じることを前提として書かれたと言われている。劇団の本拠地となる劇場を最初に建設した
 劇場経営者・投資家ジェームス・バーベッジの息子。
オーガスティン・フィリップス Augustine Phillips: 
 初期株主の一人。「役者・劇場業」でかなりの富を築いた最初の一人とも言われる。チェンバレン卿の家臣団に
 所属する前から長いキャリアがあり、劇団では年長者の役どころを担っていたと推測される。当時の役者は
 楽器演奏が出来た者も多く、劇団が様々な楽器を所有していたが、裕福なフィリップスは個人的にも幾つか弦楽器を
 所有していたらしく、それを弟子に遺している。
ウィリアム・ケンプ William Kemp: 
 初期株主の一人。劇団の初期に「伝統的な道化」の役を担っていた役者、ジグと呼ばれる踊りの名手。
 ドッグベリー(空騒ぎ)やボトム(夏の世の夢)、ランスロット・ゴボー(ヴェニスの商人)などの典型的な
 「Clown 愚者道化」の役どころは、ケンプの為に書かれたと考えられている。その他、当時も今も人気の高い
 フォルスタッフ(ヘンリー四世シリーズ、ヘンリー五世、ウィンザーの陽気な女房たち)もケンプの役だった。
トーマス・ポープ Thomas Pope:
 初期株主の一人。あまり多くは知られていないが、チェンバレン卿の家臣団を結成する前に、ブライアン、
 バーベッジ、フィリップス、カウリーらと共演していたことが記録に残っている。
ジョージ・ブライアン George Bryan:
 初期株主の一人。王の家臣団の記録には残っておらず、1597/8年には引退したと考えられている。
ヘンリー・コンデル Henry Condell:
 初期株主の若手の一人。シェイクスピアの死後、ジョン・ヘミングスと連名で「第一フォリオ版 First Quarto」と
 呼ばれるシェイクスピアの作品集を出版。
ジョン・ヘミングス John Heminges:
 初期株主の若手の一人。ヘンリー・コンデルと共に、ファースト・フォリオを出版。現在、マクベスや嵐、十二夜、
 お気に召すままなどの主要な作品が残っているのも、ヘミングスとコンデル(志半ばで亡くなってはいるが
 バーベッジも出版企画に加わっていた)の功績。
リチャード・カウリー Ricahrd Cowley:
 劇団の初期株主とも考えられているが、詳細は分かっていない。「空騒ぎ」で、ケンプ演じるドッグベリーの相棒、
 ヴァージスを演じたことが分かっている。
ウィリアム・スライ William Sly:
 後に株主となった一人。恐らくはブライアンの引退後に劇団に入ったものと思われる役者。チェンバレン卿の家臣団
 結成前に、フィリップス、ポープ、ブライアン、カウリーと共演していることが記録に残っている。
アレクサンダー・クック Alexander Cooke:
 後に株主になった一人。恐らくはヘミングスの弟子。確証はないものの、シェイクスピア作品の主役の女性役は
 ほぼ彼が担っていたとする説は根強い。
ロバート・アーミン Robert Armin:
 ケンプが劇団を去った後に、「Fool 職業道化」の役どころを担った役者。後期のシェイクスピア作品で主要な役割を
 果たす。音楽に長けており、道化(リア王)、タッチストーン(お気に召すまま)、フェステ(十二夜)などの、
 知的で厭世的な道化役は、アーミンの特徴を生かして作られた役とされている。
ニコラス・トゥーリー Nicholas Tooley:
 後の株主になった一人。少年役者として活動を始めたと推測されている。バーベッジの弟子であり、彼を追って
 同じ劇団に所属するようになったとみられる。

<主要なパトロンたち>
ヘンリー・ケアリー Henry Carey, 1st Baron Hunsdon, Lord Chamberlain: 
 初代ハンズドン男爵、チェンバレン卿。シェイクスピアの所属劇団のパトロン。エリザベス一世の母方の従兄。
 (エリザベスの母であるアン・ブリンの姉、メアリーの息子)メアリーは、ヘンリー8世の愛人でもあったことから
 実は王の庶子か、とも言われている。
ジョージ・ケアリー George Carey, 2nd Baron Hunsdon, Lord Chamberlain: 
 第2代ハンズドン男爵、後にチェンバレン卿。父ヘンリーの死後、劇団のパトロンとなるが、当時はチェンバレン卿
 の役職についていなかった為、劇団は「ハンズドン卿の家臣団」となる。8か月後に前職者の死去に伴い
 チェンバレン卿に就任。劇団も元の名に戻った。
ヘンリー・レズリー(ローズリー)Henry Wriothesley, 3rd Earl of Southampton:
 第3代サザンプトン伯爵、シェイクスピアの初期のパトロン。シェイクスピアの最初の出版物で、出世作である詩集
 "Venus & Adonis"が捧げられた相手。美貌の青年貴族でシェイクスピアがソネットを贈った相手とも言われている。
ウィリアム・ハーバード William Herbert, 3rd Earl of Pembroke: 
 第3代ペンブルック伯爵、シェイクスピアのパトロン。サザンプトン伯と並び、ソネットの「麗しき君(少年)」の
 モデルと推測される人物。
ジェームス1世(スコットランド王としては6世)James T&Y: 
 エリザベス1世の死後、イングランドの王位を継いだ、スコットランドはスチュワート家の王。チェンバレン卿の
 家臣団をそのまま自らの加護する劇団とした。この時から、劇団は「王の家臣団」となった。

<他の劇作家たち>
クリストファー・マーロウ Christopher Marlowe: 
 靴屋の息子でありながら、その才能を見染められケンブリッジ大学で学ぶ。チェンバレン卿の家臣団のライバル劇団
 であるアドミラル卿の家臣団の専属作家。シェイクスピアよりも名を為したのが早かったが、若くして居酒屋で
 喧嘩の末、刺殺される。女王の諜報員として活動していたとの説もあり、暗殺されたと唱える者もいる。
ベン・ジョンソン Ben Johnson: 
 シェイクスピアに次ぎ重要なイングリッシュ・ルネサンス期の作家といわれる。ケンブリッジに入学することに
 なっていたが、家業に従事させられ断念。喜劇・風刺劇を得意とし、古典的な手法に乗っ取った文章を書いた。
 彼の作品の上演リストに、シェイクスピアの名が役者として載っている。 シェイクスピアの死後、ジェームス1世の
 治世には、宮廷芝居の台本を書いて第一線で活躍した。
ジョン・フレッチャー John Fletcher: 
 チェンバレン卿の家臣団~王の家臣団後期の劇作家。シェイクスピアの後を継いだと考えられている。
 シェイクスピアの後期の作品の幾つかはフレッチャーとの共作というのが、現在の一般的な認識。


シェイクスピア 同時代の評____________________________________

16後半~17世紀前半にかけて活躍したシェイクスピア。死後、18世紀を通じて国内での名声は高まり、19世紀以降は
国際的な評価・知名度も上がっていきます。1960年には王立シェイクスピア劇団が創設され、「National Poet=
国を代表する詩人」としての地位は揺るぎないものとなり、現代では名実ともに「世界で最も有名な英国人劇作家」
として、英国人が誇るべき存在となっています。

しかし、時代・地域、もしくは作品の捉え方によってシェイクスピアの評価は実に様々です。
17世紀の仏作家ヴォルテールが、シェイクスピアを「イングランドの演劇の伝統を台無しにした」と酷評したこと、
18世紀の独詩人ゲーテが、「英文学におけるシェイクスピアという存在」に影響を受け、後に独文学を代表する大作家
となったこと、19世紀の仏作家デュマ(大デュマ、『三銃士』『モンテ・クリスト伯』などの作者)がシェイクスピア
を'After God, Shakespeare created most.'(神が創造した後、シェイクスピアが最も多くを創造した)と称したこと
19世紀後半の露作家トルストイがシェイクスピア批判の論文を発表していることなどは、その違いを表しており
興味深いのではないでしょうか。

では、そもそも同時代の同朋たちによるシェイクスピア評はどのようなものだったのでしょうか。当時も、人気の
劇作家であったことは間違いありませんが、ここに、現存するシェイクスピア同時代の評を、幾つか紹介します:

ロバート・グリーン Robert Greene 1558-1592, 劇作家・詩人

(Greene's Groats-worth of Wit, 1592)
"...for there is an upstart Crow, beautified with our feathers, that with his Tygers hart wrapt in a Players hyde, supposes he is as well able to bombast out a blanke verse as the best of you:and being an absolute Johannes fac totum, is in his owne conceit the onely Shake-scene in a country.”
                       
「急に(世に)出てきたカラス」、「(大学出の中でも優秀なものみたいに)無韻詩を操れると豪語している」など、
かなり批判的な評で、一般的には、当時の大学出身詩人たちの職業的嫉妬の現れと言われます。当時詩や芝居を書いて
いたのは大学で教育を受けた詩人たちでしたが、シェイクスピアは大学を出た形跡はなく、役者としてキャリアを
始めていました。そんな人物が、大学出の詩人の「専売特許」であるはずの Blank Verse 無韻詩を駆使して台本を
書き、しかも人気を博している、ということは、エリート詩人たち(多くは金儲けに疎く困窮していた)にとっては
耐えがたい屈辱だったのかもしれません。 

ベン・ジョンソン Ben Jonson 1573-1637, 劇作家・詩人

(Preface to Shakespeare's First Folio, from To the momory of my beloved the Author, 1623)
”...Triumph, my Britaine, thou hast one to showe,
To whom all scenes of Europe homage owe.
He was not of an age, but for all time!...”                 ⇒The Bodleian First Folio へ

シェイクスピアの死後に出版された作品集 First Folio の前書き部分。友人であるジョンソンから、故人シェイクスピア
に捧げられた詩で、しかも本(First Folio)を売りたい訳ですから、当然、シェイクスピアのことを悪く書くはずは
ありませんが、それでも「彼は一時代のものではなく、いつどんな時代にも属するのだ!」という言葉は、現在の
私たちにとってこそ、より説得力があるものかもしれません。

リチャード・バーンフィールド Richard Barnfield 1574-1620, 詩人

(Poems In divers humors, 1598, from SONNETU, A remembrance of some English Poets.)
...And Shakespeare thou, whose hony-flowing Vaine,
(Pleasing the World) thy Praises doth obtain.
Whose Venus, and whos Lucrece (sweete, and chastes)
Thy Name in fames immortall Booke have plac'd.
Live ever you, at least in Fame live ever:
Well may the Bodye dye, but Fame dies never.

シェイクスピアのソネットに出てくる「ライバル詩人」か?と憶測されることもあるバーンフィールド。
シェイクスピアに対する「汝の肉体が滅びようとも、その名声は決して死にはしまい」という予言めいた言葉は、
400年以上経った今、まさに現実のものとなりました。

フランシス・メアズ Francis Meres 1565/6-1647, 聖職者・作家

(Palladis Tamia, 1598, from Comparative Discourse)
”:So Shakespeare among the English is the most excellnt in both kinds for the stage; for Comedy, witnes his Gentlemen of Verona, his Errors, his Love labors lost, his Love labours wonne, his Midsummers night dream, & his Merchant of Venice: for Tragedy his Ricahrd the 2. Richard the 3. Henry the 4, King John, Titus Andronicus and his Romeo and Juliet.”

シェイクスピア作品の最初の批評として有名なメアズの「パラディス・タミア」。シェイクスピアを、英語劇作家と
しては、喜劇・悲劇共に最も素晴らしい、と述べています。


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ウィリアム・シェイクスピア
英国におけるシェイクスピア
作品(戯曲)
作品(詩)
歴史と背景(英国史概要とシェイクスピアの時代)
歴史と背景(シェイクスピアの劇団と劇場)(準備中)
名作紹介(映像化された作品)