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シェイクスピア&英国演劇 情報紹介サイト Shakespeare and British Theatre Information Site


歴史と背景 History and background

-イングランド歴史略年表
-中世プランタジェネットから近世チューダーへ
-エリザベス一世の治世
-ジェームス一世の治世
-内乱〜王の処刑〜王政復古~名誉革命

イングランド歴史 略年表〜ウィリアム征服王以降の王朝の変遷を中心に_______________
 

*シェイクスピアが生きた時代(1564-1616)は赤字
*シェイクスピアの戯曲のモデルになった王たち(伝説上の王を含む)は緑字
*各王朝下での転機となる歴史的な出来事を記載


800BC~AD43 ローマ以前 Iron Age
 ※シンベリン(Cunobeline, King of Britons AD10-42)
43AD-410 ローマ帝国支配下 Roman Britain
410-1066 バイキングとアングロサクソンの時代 Vikings and Anglo-Saxons
 ※リア王(8世紀頃のLeir of Britain), マクベス(Macbeth, King of Scotland 1040-1057) 
  ヘイスティングスの戦い The Battle of Hastings 14th October 1066
  ノルマンディ公ウィリアム(ウィリアム征服王)の戴冠 25th December 1066
1066-1154 ノルマン支配下 Norman Britan
  内乱を経てヘンリー2世(Henry Plantagenet)がイングランド王に即位 19th December 1154
1154-1485 中世〜プランタジェネット王家の時代 House of Plantagenet
 ※ジョン王(King John 1199-1216)
  百年戦争 Hundred Year's War (1337-1453) 英プランタジェネット家と仏ヴァロワ家の仏王位をめぐる戦い
 ※リチャード2世(RichadU 1377-1399), ヘンリー4世(HenryW 1399-1413), ヘンリー5世(HenryX 1413-1422)
  薔薇戦争 Wars of the Roses (1455-1485) 内乱(赤薔薇紋章のランカスター家と白薔薇紋章のヨーク家の戦い)
 ※ヘンリー6世(HenryY 1422-1461), リチャード3世(RichardV 1483-1485)
  ボスワース平原の戦い The Battle of Bosworth (22nd August, 1485)
   =リチャード3世(プランタジェネット・ヨーク家 最後の君主)戦死
    ヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世、チューダー王朝の祖)の勝利
1485-1603 チューダー王家の時代〜近世の始まり House of Tudor
 ※ヘンリー8世(Henry[ 1509-1547)
  宗教改革 English Reformation (1529-1537)
  エリザベス1世治世 Elizabethean era (1558-1603) *エリザベス1世は生涯独身、チューダー家最後の君主
  イングランド海軍がスペイン海軍(アルマダ)を破る Spanish Armada defeated (29th July, 1588)
1603-1714 内乱・市民革命の時代〜スチュワート王家の苦難 House of Stuart
  ジェームス1世治世 Jacobian era (1603-1625) 
  *ジェームス1世は、ヘンリー7世の玄孫(スコットランドのスチュワート王家に嫁いだ長女の曾孫)
  三王国戦争(ブリテン内乱期) Wars of the Three Kingdoms/British Civil Wars (1641-49)
  チャールズ1世の処刑 Execution of CharlesT, 30 Jan 1649
  
*チャールズ1世は、ジェームス1世の息子
 空位期間 The Interregnum(1649-60)
 {共和制期間 The Commonwealth(1649-59)}
 王政復古 Restration(1660-88)
  チャールズ2世の戴冠 *チャールズ2世は、チャールズ1世の息子
 名誉革命 Glorious Revolution(1688-89)
  Act of Settlement 1701:王位継承権は、プロテスタントにのみあることを定めた法令。スチュワート家最後の
   君主アン(1702-1714)の後継者が、ハノーバー家ソフィア(ジェームス1世の孫)の血筋と定められた。
  Act of Union 1707: ジェームス1世以降、同一の君主を冠する別々の王国だったイングランドと
   スコットランドが、連合王国となることに合意した法令。両国の議会でそれぞれ議決された。
1714-1901 大英帝国と海軍の時代〜ハノーバー王家下の栄光と陰り House of Hanover
  大英帝国の興隆 Empire and Sea Power(1714-1837)
  アメリカ独立戦争 American Revolutionary War(1775-1783)
  ヴィクトリア女王治世 Victorian era (1837-1901)
1901-1917 世界大戦の時代〜ザクセン・コーブルク・ゴータ王家下 House of Saxe-Coburg and Gotha 
  <ザクセン・コーブルグ・ゴータは、ヴィクトリア女王の夫アルバート公の家名>
  第一次世界大戦 World War One (1901-1918)
  <1917年7月17日、当時ドイツが敵国であったことを考慮し「ウィンザー家」に改名>
1917-現在 現代〜ウィンザー王家下の英国 House of Windsor
  第二次世界大戦 World War Two (1918-1945)
  現在へ (1945~)


<概略>英国史の中での「シェイクスピアの時代」の立ち位置:

シェイクスピアが生きた時代は、近世の始まりと言われます。
長く続いた内乱期(プランタジェネット一族による王位継承争い)を脱したイングランドが、比較的安定したチューダー王朝下で国力を蓄え、「海外」に目を向けるようになった時期です。独自の文化が花開き、イングランドのルネッサンス期とも認識されています。

こと、エリザベス1世の安定した長い統治期間は、イングランドの文化に目を見張るような変化が訪れた時期。
欧州本土から芸術家を受け入れる、または芸術家自身が仏・伊で経験を積み、思想・知識・技術を持ち帰るなどして、イングランドの文化は急速に発展してきます。絵画、建築、音楽、工芸は、欧州ルネッサンスを真似るだけでなく、独自の「イングランドらしさ」を体現するにまで至り、何よりも文学と演劇など言語の芸術の発展は目覚ましく、「近代英語」の基礎は、この時期に形成された、というのが一般的な認識となっていまます。シェイクスピアは、この「イングランドのルネッサンス」を代表する存在です。

また、当時最強と言われていたスペイン艦隊(アルマダ)を、(運が味方したとはいえ)自国の海軍が撃破したことは、イングランドに自信を与え、商船のみならず、探索船が次々と大海へと旅立っていくようになります。そこからもたらされる「未知の世界」の情報が、当時の文化人たちの視野や世界観に多大な影響を与えていたであろうことは明白で、シェイクスピアの特に後期の作品(嵐・ペリクリーズなど)にも、当時の冒険家の著述を読んでいたと思しき影響が見られます。(二作品とも、航海が主題に入っており、漂着先の島や渡航先の国の住民との出会いなどが描かれる)

同時に、シェイクスピアの活動の後半はスコットランドから迎えたスチュワート家の王、ジェームス1世の治世初期に当りますが、これは、その後100年以上続くスチュワート王朝下の混乱・激動の時代の幕開けの時期でもありました。ジェームス1世以降、プロテスタント諸派間およびカトリックとの宗教闘争、王と議会の権力闘争、イングランドとスコットランドそしてアイルランドの三国間闘争など、スチュワート王朝下での長きに渡る様々な抗争を経て、英国は、イギリス国教会、立憲君主制、議院内閣制、ゆるやかな連合王国など、現在の「英国」の特徴となる要素(問題も含む)を確立させていきます。

シェイクスピアの生きた時代というのは、まさに中世から近世への急激な変換期であって、ブリテン島に暮らす人々の「現在のアイデンティティの基礎」が形作られていた時期と言えるかもしれません。


中世プランタジェネットから近世チューダーへ___________________________

この時代の君主たち(プランタジェネット期の終わり〜チューダー期)
リチャード3世 RichardV (1483-1485)
 ヨーク家(かつプランタジェネット家)最後の王・戦場で死んだ最後の王でもある
ヘンリー・チューダー Henry Tudor (1485-1509)
 後のヘンリー7世 チューダ王家の祖
ヘンリー8世 Henry [ (1509-1547)
 6人の妻で有名な王・ローマ教会(カトリック)から独立し英国国教会(プロテスタント)を設立
エドワード6世 EdwardY (1547-1553)
 ヘンリー8世3番目の妻の子で、唯一の嫡出男子。9歳で即位、15歳で死去
{レディ・ジェーン・グレイ Lady Jane Grey (10th July 1553-19th July 1553) }
 ヘンリー8世の妹の孫。政治・宗教闘争に巻き込まれ、9日間ほど王位につくも、後に処刑
メアリー1世 MaryT (1553-1558)
 ヘンリー8世の長女。カトリック信仰を復活させるべくプロテスタントを弾圧。「血のメアリ Bloody Mary」とも
エリザベス1世 ElizabethT (1558-1603): 
 ヘンリー8世2番目の妻の娘。イングランド繁栄の象徴。「良き女王べスGood Queen Beth」の愛称で知られる

この時代の概要・政治的な状況:
 ヨーク家最後の王リチャード3世をボスワース平原の戦いで破ったヘンリー・チューダーが、ヘンリー7世として
即位。ヘンリー・チューダーは、母方が遠くランカスター家の血を引いており、ヨーク家出身のエリザベス(ヨーク家の前王エドワード4世の娘で、リチャード3世の姪)と結婚することで、30年続いたプランタジェネット家による王位継承争い(薔薇戦争)が終わりを告げたことを世に示します。その象徴とも言えるものが、チューダー家の紋章で、チューダーローズと呼ばれる赤白入り混じった薔薇は、ヨーク(白薔薇)・ランカスター(赤薔薇)両家の紋章を合わせた形になっています。

 即位後もヨーク家の残党が反乱を起こすなど、内乱が完全に終結した訳ではありませんでしたが、ヘンリー7世の治世は、主に諸外国との和平交渉と経済の発展とに費やされ、政治的にも経済的にも比較的安定した時期が訪れます。続くヘンリー8世の時代は、王の権力が最も強くなった時期で、権力闘争といった意味での大きな政治的混乱はありませんでした。

 ヘンリー8世が健康な世継ぎの男子に恵まれなかったことから、その死後十年弱の間は、不安定な時期が続きます。しかし、エリザベス1世が即位すると世は再び安定し、その後45年に亘り、イングランドは一人の女王の下で繁栄を謳歌することになります。

演劇の発展に関連する出来事:
 ヘンリー7世による外交重視の政策と戦費の削減で国内の経済が安定したこと、またヘンリー8世の支配下で王の権力が絶大となり、造船所が増やされ戦艦の開発に国を上げて力を入れたことは、後のイングランド海軍の基盤をつくり、エリザベスの時代に「イングリッシュ・ルネサンス」を生み出す遠因となったと言えそうです。

 また、近代演劇が急激に発展を遂げる間接的な原因の一つになったのが、後に政治的にも社会的にも英国の歴史に大きな影響を与えるようになる「宗教改革」です。当時、現在のドイツ地方を中心に、ローマのカトリック教会組織・体制を批判し、聖書のみを拠所とすることを唱える一派が誕生していました。後にプロテスタントと呼ばれる一派で、後の英国もプロテスタント国となるのですが、実は、当時のイングランドのカトリック信仰は安定しており、民間レベルで、カトリック信仰に不満を覚え、新思想に同調していくような要因は見当たらなかったと言われています。

 イングランドで「宗教改革」が行われた原因は、ヘンリー8世に男子の世継ぎが生まれなかったこと。
 ヘンリー八世はそれまで敬虔なカトリック信者でしたが、男子に恵まれず、既に出産を望める年齢を過ぎていた年上の王妃キャサリンとの離婚を望みます。しかし、キャサリンは欧州で最も力のあるスペイン・アラゴン系王家の出身。そして、当時、神聖ローマ帝国の皇位についていたのは、キャサリンの甥にあたる、アラゴン系ハプスブルグ家のチャールズ(カルロス)5世でした。法王はチャールズを怒らせることを嫌い、ヘンリーの申し出を却下します。しかし、何としても男子の誕生を望んだヘンリー八世は、丁度その頃欧州で起こっていた宗教改革の流れを利用し、ローマの権力を否定して、イギリス国教会を設立し、自らその元首となります。

 イングランドの修道院は土地・財産を全て没収され、破壊し尽くされました。また、当時、民衆の間で広く親しまれていた「宗教劇」も、カトリック的なものを徹底的に排除するという方針から、上演を一切禁じられますが、芝居は人気の高い娯楽でしたから、人々は代わりに世俗的な芝居を求めるようになり、これが、演劇のルネサンスを呼び起こした間接的な要因となったと言われています。


エリザベス一世の治世______________________________________

エリザベス1世 ElizabethT(1558-1603):
腹違いの姉メアリー(ヘンリーの1番目の妻の娘)と、弟エドワード(ヘンリーの3番目の妻の息子)がいる。
ヘンリー8世とその2番目の妻、アン・ブリン Anne Boleyn の間の娘として誕生。しかしヘンリーが望んでいたのは嫡出の「男子」だったため、継承権が与えられるもエリザベスの立場は不安定なものでした。その後も、アンは男子を産むことが出来ず、次第にヘンリーの寵愛を失って行きます、エリザベスが2歳8カ月の時、アンは不義密通の罪で処刑され、それに伴って、エリザベスも嫡出資格及び王位継承権を失います。結局、姉のメアリーと共にエリザベスが正式に継承権を取り戻したのは、ヘンリーの6番目にして最後の妻、キャサリン・パーCatherine Parr の尽力によるものでした。

ヘンリーの死後、弟エドワード6世の治世にはプロテスタント一派が、より徹底したプロテスタントへの改宗を推し進めようカトリックを迫害したのに対し、姉メアリー1世は、即位すると再びイングランドをカトリック国に戻しプロテスタントを弾圧、と宗教闘争が続きます。が、自らの即位までに、このような宗派間の激しい闘争を目の当たりにしたことは、エリザベスにとっては幸運なことだったかもしれません。メアリーの死後、エリザベス1世として王位を継ぐと、イングランドの宗教を英国国教会にもどしますが、自身はその宗教的立場を明確にはせず、カトリックへの激しい弾圧も、時の法王による自身の暗殺計画が起こるまでは、行いませんでした。また、宗教闘争に繋がる可能性のある結婚にも慎重でした。

エリザベス一世は、結局生涯独身を貫き、処女女王(Virgin Queen)として、45年にも亘りイングランドに君臨します。この安定した治世が経済及び文化の発展に貢献したことは、一般的に良く知られることです。

演劇の発展に関連する出来事:
(編集中です)。


ジェームス一世の治世______________________________________

ジェームス一世(スコットランド王としては六世) James T(1603-1625)&Y(1567-1625)
ジェームス1世は、ヘンリー八世の、スコットランド王家に嫁いだ姉の、曾孫にあたる人物です。母はスコッツの女王と呼ばれるメアリー・スチュワート。メアリーは敬虔なカトリック信者で、エリザベス1世の最大のライバルでもありました。カトリックの陰謀に加担したとしてエリザベスにより監禁・処刑されますが、母とあまり繋がりのなかったジェームスに、エリザベスを敵視する姿勢は全く見られなかったようです。ジェームス自身は、敬虔なプロテスタントとして育てられました。

エリザベスは、死ぬまで後継者を指名しませんでしたが、側近たちは陰で、スムーズな王位継承を目論み、ジェームス6世と連絡を取り合っていました。甲斐あって、女王の死後、大きな混乱もなくジェームスは1世として即位。その後、イングランド議会と、スコットランド王の蜜月は長くは続かなかったようですが、主な原因は、互いの文化の違いだったと考えられ、ジェームスの治世の間は、王と議会の比較的良好な関係が維持されます。

ただ、カトリックの母を持つ王であることから、抑圧が軽くなることを期待したカトリック教徒たちは、何の変化も無いことに不満を募らせ、後に有名になる「火薬爆破事件」を起こします。しかしこれが未遂に終わると、その後は、安定した時期が続いていきます。

演劇の発展に関連する出来事:
(編集中です)


内乱〜王の処刑〜王政復古〜名誉革命_______________________________

この時代の君主・統治者たち(内乱〜スチュワート朝の終わり)
ジェームス1世 ・6世 James T(1603-1625)&Y(1567-1625)
 スコットランド王。後に、子の無かったエリザベス1世の後を継ぎイングランド王にもなる。プロテスタント。
チャールズ1世 CharlesT(1625-1649)
 ジェームス1世の次男。兄である皇太子ヘンリーの急死に伴い王位を継承することとなった。後に処刑される。
オリバー・クロムウェル 護国卿 Oliver Cromwell, 1st Lord Protector (1653-1658):
 いわゆる「清教徒革命」の立役者。議員、軍人。一時的に樹立された共和制イングランドの初代護国卿となる。
リチャード・クロムウェル Richard Cromwell (1658-1659):
 オリバー・クロムウェルの息子。父の死後、護国卿位を受け継ぐも、9か月後に放棄。王政復古のきっかけとなる。
チャールズ2世 Charles U(1660-1685)
 チャールズ1世の息子。父親の処刑後、フランスに亡命。後に政府により呼び戻される。王政復古後、最初の王。
ジェームス2世 James U(1685-1688)
 チャールズ1世の息子で、2世の弟。カトリックに改心していた為、プロテスタント主体の政府に王位を追われる。
メアリー2世 MaryU(1689-1694)
 ジェームス2世の長女。父が王位を追われた後、夫と共に王位につく。いわゆる「名誉革命」後の、最初の君主。
ウィリアム3世 William V(1689-1702)
 チャールズ1世の孫(娘の息子)かつメアリー2世の夫。オレンジ公爵。政府の要請を受け、妻と共に王位につく。
アン Anne, Queen of Great Britain (1702-1707):
 ジェームス2世の次女。子が全員早世した為、スチュワート家最後の君主となる。ブリテン連合王国最初の君主。

この時代の概要・政治的な状況:
(編集中です)

演劇の発展に関連する出来事:
(編集中です)

シェイクスピア

ウィリアム・シェイクスピア
英国におけるシェイクスピア
作品(戯曲)
作品(詩)
歴史と背景(英国史概要とシェイクスピアの時代)
歴史と背景(シェイクスピアの劇団と劇場)(準備中)
名作紹介(映像化された作品)